校歌を大きな声で歌うために必要なのは、その校歌が持つ芸術性に依るところが大きいというのが私の持論です。私見では仙台商業の校歌は伝統的な校歌のスタイルを持っているため、格調高く生徒の感覚からすると、少し古臭く感じているのかもしれません。
そこで、試しにAIに校歌の歌詞を与えて、どんな出力をするのか試してみることにしました。AIは基本的には、既存のものを学習して、それをプロンプトを基に再構築して出力すると考えていたので、大したものは出来ないんだろうなという思いで、待つこと十数秒。
しかし出力された楽曲には驚きを隠せませんでした。
漢字は読み間違っているし、文脈とか考えずに譜割りしている部分もあるが、音楽を少しかじっている身からしても、ちゃんとリズム、ボーカル、ベース、ギターなどがそれと分かるレベルでMIXされているし、曲の抑揚もちゃんとあるし、何より「仙台商業高校」という歌詞をちゃんと曲の中にしっかり納めて来ている。
特に指定はしなかったけど、アニメ調の女性Voなのも個人的には好感が持てた。繰り返し聞きたくなる。
仮に、これを基に、ちゃんと録音し直して、MIXした作品を作ったら、曲の著作権は誰になるのだろうか?
SUNOのFAQを読むと、無料プランの場合は、著作権はSUNOにあり、有料プランの場合は、著作権はユーザーが持つようになるらしい。
完成度は人間の作品に遠く及ばないけど、あのレベルのデモテープを作れと言われたら、私だったら1週間とかかかるし、あんな感じにポップには作れないけど、それを十数秒で作れてしまうわけだから、到底太刀打ちできない。
AI画像を触った時も、似たような衝撃を受けた。あれは静止画なので、絵の特徴を学習するという事のイメージが何となく沸くけど、音楽の学習やその再構築はどういうプロセスなのだろうか?
楽曲をVo、Ba、Dr、G、Keyなどのパートに分離して、その相互関係も学習の要素としているのではないだろうか。でなければ、あのVoとアコギだけから入るなんていう発想はできないだろう。
とするならば、AIが内部イメージから楽曲に出力する段階のエンジンを高性能にすれば、完成度をある程度上げることも出来る。
もう、人間のクリエイターは、創作意欲を無くすしか道は残っていないのだろうか。
今AIに人類が敗れるイメージが自分の中にはっきりとした形で生まれた。しかし、負けを認めない限りは勝敗は付かない。現時点で、人間が出来るクリエイティブな活動とは何なのだろうか?
AI作曲やAI画像生成などで作品を作ることはクリエイティブな活動とは呼べないのか?
AI画像を描く場合でも、求める1枚に辿り着くまでに、何枚も失敗した絵を描く。AI作曲も2つ作られたうちの、自分が気に入った方を選んだ。この選ぶ作業こそがAIとの付き合い方なんじゃないだろうか?
そして沢山作らせて、良いものを選んで、さも自分の作品ですという顔をする。一昔前の諸先輩から大きな声で叱らせそうな考えですが、そうやって生まれた作品でも、広くその芸術性が受け入れられれば、AIが作ったとはいえ立派な作品だと思う。
ただ、かつてのヒット曲のように売れることはあり得ないし、そのレベルの作品は絶対にAIには作れないと思う。そのレベルの作品が作れるのは人間だけじゃないだろうか。
そして、このまま行けば、そのレベルの人間は今後現れることはもうないのかもしれない。
なぜなら、AIがある程度やってくれちゃうので、自分のスキルが磨かれず、AIに溢れたカオスな世界で生きていく人だらけになっちゃうから。
でも、そんな世界が嫌で、自分の道は自分で切り拓くという強い信念の人も生まれてくるはず。私はそういう人の良き理解者となり、背中を押してあげたい。